西国三十三所・興福寺 南円堂

6/3、奈良の興福寺と春日大社へ行ってきた時の内容です
あ、良かった、まだ半年経っていませんね!w

近鉄奈良駅にて、これから向かう興福寺の記念撮影スポットがありました

猿沢池方面へ歩いて行くと、商店街がありました
丁度お昼時に着いたのですが、なかなかこれだ!というお店が無くてアーケードを通り抜けてしまいます…
と、奈良県里程道路元標が!

明治時代に日本国内の距離を計る際に起点をして各都道府県に設置されていた物だそうです
因みに後ろを振り向くと復元されたものが

普通こっちを先に見つけるだろうと自分でも思う辺り、マンホールといい私は地面を見ながら歩いている様ですねw
後ろの立て札は御高札場の復元です
東海道五十三次でも時々目にしましたが、こういう歴史的な物をきっちり残そうとしてくれてるのって本当に嬉しいです

さて、ここからすぐに猿沢池に到着です

こちらは采女(うねめ)神社です

御祭神は采女命、采女とは帝に給仕を行う女官の事です
奈良時代に、天皇からの寵愛が無くなった采女が悲しみのあまり猿沢池に身を投げたとの事です
毎年中秋の名月に行われる采女祭では、猿沢池に船を浮かべる祭事が行われます
またここは、春日大社の場外にある末社です
本当にこじんまりした神社ですが、軽く調べただけでこれだけ情報があるのかと、ビックリしました

さて、猿沢池の所から興福寺に向かいます

興福寺は、弘仁4(813)年に藤原冬嗣(ふゆつぐ)が、父・内麻呂(うちまろ)の迫害の為に建てたそうです
南円堂です

八角形が特徴的です
青空に朱色がよく映えます

お堂の前によくある香炉です

鳥頭

額にはご詠歌が飾られています
鰐口もあるのでここは寺院だなと分かるのですが、白い垂れ幕が何だか神社っぽい…

神仏習合の名残でしょうか

こちらは一言観音堂です

こちらの一言観音様は、一度お願いしてそれが成就した後は、再びお願いしてもOKだそうです

西国三十三所の御朱印です

立派な字です

こちらはご詠歌です

対照的に線が細いです
春の日は 南円堂に かがやきて みかさのやまに はるるうすぐも

中金堂です

…は、現在工事中です

国宝の五重塔です

高さは50.1mあり、屋根の形からも、見上げると本当に迫力があります

こちらも国宝の東金堂

神亀3(726)年に、聖武天皇が叔母の元正(げんしょう)太上天皇の病気全快を祈り建てられました
太上天皇とは、だいじょう、だじょう、たいじょう等と読み方がありますが、天皇の譲位後の尊称です
上皇とも言います
歴史の授業でそういえば、そんな響きの名前もあったなぁ、何だったかなぁ…と歴史に疎いので、私が疑問視した所はきっと皆様も首を傾げているだろうと信じてちょこっと書いていますが、御存じの場合読み飛ばして下さいませ!w
内部の拝観は300円必要です
私は今回見ていませんが、復刻御朱印をまた頂きに行きたいので、その時に拝観予定です

こちらも国宝の三重塔です

康治2(1143)年に崇徳(すとく)天皇の中宮(妻)が建てられました
治承4(1180)年に被災し、間もなく再建されたそうです
高さは19.1mあります

お地蔵様がいらっしゃったのでパシャリ

猿沢池より眺める五重塔もまた風情があります

興福寺はこれら国宝だらけの境内に無料で入れますし、何より立地が抜群に良いです
駅からも良い距離で、奈良周辺の目玉観光の春日大社や東大寺に行くにも道中にあります
ついで参りは良くないと言われていますが、
何だかここは、ちょっとお散歩気分で寄りたいなぁ…と、受け入れて貰える感じがした寺院でした
次回は春日大社に向かいます


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