神社と寺院について~違い・参拝方法等~

御朱印を頂く機会が無ければ、今も私にとって神社仏閣は被写体以外、特に思い入れの無いものだったと思います
うわわ、なんて罰当たり!
どうしようも無い時に、神様にお願いしてもどうにもならなかったという事をいっそ神様の所為にしてたので、
そう思うと凄いきっかけでしたね(^^;)
因みに、私のモットーは「人間万事塞翁が馬」
良い事も悪い事に、悪い事も良い事になるかもね☆という考え方で生きています

今回は、「神社と寺ってどうちゃうん?」「そんな今まできちんと参拝した事無いし…」とか、「私の参拝方法これで良いのよね!」と予習・復習にご利用頂ければと思います
神社・寺院で聞いた事、本や他ブログ様やテレビで仕入れた知識や内容諸々を、ブラックボックス(私の頭)を通して、分かり易くまとめてみました
きちんと出来なくても…とも思ってしまうでしょうが、
「郷に入っては郷に従え」という様に、行為には意味があり、行為をする事自体に意味もあります(また後でちらっと言います)

・神社と寺院の違い
明治時代に神社と寺院が区別されるまで、くっきり区別されていなかった様で…
割と寺院に神社が入っていたり、「ここいっそ神社(或いは寺)でも良いんじゃ…?」と思う所もありますw
神社
・日本の神様や、木・岩・山といった自然が祀られている
また、神道は日本だけの宗教です
・柏手を打つ(寺院では打たないで下さいね!)
・鳥居があります
・○○神宮、○○宮、○○大社、○○神社、○○社…というのが神社に分類されます
ざっくり言うと、この順に格式が高いです
○○神宮は、全国でも24社しかありません(単に「神宮」というと、伊勢神宮を指します)
因みに一宮は、昔の各国(相模國とか、摂津國とか…)で、最も格式の高い神社の事です
・神様に日々の感謝のお礼…という事でお賽銭を入れます
霊感系統に詳しい人から聞いた話、「基本一見さんはお断りで、お参りするなら継続すべし。」(無理ならお参りの時に「普段は遠くに住んで居るのでなかなか来られません」と言う必要もあるそうです)
また、相性もあるそうで、行ったら必ず晴れる神社もあれば、あまり良くない事もある神社もあるそうです……

寺院
・御本尊として仏様が御安置されています
・参拝の際には手を合わせてお経を唱えます
・山門があります
・呼び方は○○寺や○○院の他にも○○庵・○○坊・○○大師等がありますが、いずれも同じ意味です
・修行(喜捨)…という事でお賽銭を入れます

ざっくり分けるとこんな感じにでしょうか
因みに、ちょっと時期はずれてしまいましたが、初詣は三が日や最初の1週間ではなくいつ行っても良いし、神社・寺院どちらに行ってもOKです
(忌中の間は神社に行かない方が良いと聞いた事はありますが
「鳥居をくぐらずに入れば良い」と昔教えて貰った事があったので、そういう事にしようとそうしました)

・参拝方法
まずは神社にお参りしましょう
①神聖な場所にお邪魔するので、鳥居をくぐる前に衣服を整えます
②15度位の軽いお辞儀をして鳥居をくぐり、参道を進みます…が!
参道の中央は神様が通る範囲です
向かって左側から歩いて下さい(右は上位とされているので)
③手水舎で手水をとり、手や口をすすいでから身を清めて下さい

手水舎の読み方ですが、「ちょうずしゃ」「ちょうずや」「てみずしゃ」「てみずや」…どれで読んでも大丈夫です
昔は神社に参拝する際に、近くを流れる川の水や湧き水で手を清めていました
以前伊勢神宮に行った時に、五十鈴川で手を洗う人の姿を見た事があります
手水舎にも手順があります
③-1・軽く一礼をしてから、柄杓(ひしゃく)を右手で持って水を汲みます(水は一杯になるまで入れて大丈夫です)
③-2・まず左手を清めます
③-3・柄杓を持ち替えて、右手を清めます
③-4・再度柄杓を持ち替え、左手に水を受けて口をすすぎます(※柄杓に直接口をつけない様に)
③-5・最後に柄杓を縦にして、残った水で持ちてを洗い流して、柄杓を元の位置に戻します。
柄杓の水は汲み直さないのがベストです
「水も神様の物」という意識を持つと、自然とガバガバ使う事も無いかと思います
④本殿に着いたら軽く会釈をして鈴を鳴らし、お賽銭を入れて、「二礼二拍手一礼」で参拝します
(「二拝二拍手一拝」ともいい、「礼」は30~45度の角度のお辞儀、「拝」はおよそ90度のお辞儀を意味します
私は礼の角度で曲げますね…)
軽く会釈をして退きます。
(神社によっては形式が違います。伊勢神宮の場合は「八拝二拍手一拝」、出雲大社では「二拝四拍手一拝」とか…)

二礼二拍手一礼をもう少し細かく見ると、
④-1神様に敬意を表す為、二礼します
④-2神様を招くため掌を合わせて二拍手します
このとき、右手は少し下にずらします。
(掌をずらすのは神と人がまだ一体になっていないという意味です
二度手を打つことで神を招き、その後掌を合わせることで神と人が一体となり、神の力を得ることができるのだそうです)
④-3神様を送り返す意味で最後に一拝(1回おじぎ)します。
つまり神様への自己紹介(名前と住所を伝える必要があるそうです)とお願い事は②と③の間にしろという事でしょうが、
私はこの作法をやる事で頭がいっぱいになり、③の後…去り行く神様の後ろ姿に慌ててお伝えしますw

さて、いっぱいいっぱいになりそうですが、何回かしていると身に付いてきます
次は寺院です
①山門の前で本尊に向かって、浅くお辞儀をします
敷居がある場合は敷居を踏まずに跨いで入って下さい
②神社と同じ手順で、手水舎で身を清めます
③灯明や線香が用意されていれば献灯・献香をしましょう
④賽銭箱に浅くお辞儀をして、お賽銭を入れます
⑤鰐口(わにぐち。金鼓、金口ともいいます)等があれば鳴らします。
⑥胸の前で合掌し、お経を唱えます(※柏手を打たない様に!)

恐らく多くの方はお経を唱えられないと思います
両手を胸の前で合わせるだけでも、仏様と自分が一体になるという意味があるので、それでも良いかもしれません
私も276文字とはいえ、般若心経を未だに覚えられませんし…
浄土真宗系であれば「南無阿弥陀仏」、日蓮宗系であれば「南無妙法蓮華経」等、色々ありますし、もう仲良く一本化して!とも思いますw
行く寺院を調べてカンペを用意しても良いですし、西国三十三所では「こう唱えて下さい」という案内もあるので助かります(小声で本を見つつ般若心経読んでますけれど…)

こちらは振り仮名・訳付のコンパクトサイズで、持ち運びも楽です
暖色系もあります

分かり易くお伝え出来ていれば嬉しいです
せっかく御朱印について書かせて頂く機会も多いので、一度纏めてみたい!という記事でした
いつもより多くの時間がかかっていますので、いつも以上に「ほぅ」「へぇ」と思って頂けると幸せですw
こういう所を自己申告する人です、はい。←
以下は私にとっての神社仏閣とは…という戯言です

御朱印がきっかけで訪ねる事が多くなりましたが、
神社と寺院、
どちらもお願い事を叶えて貰う…というより、スッキリしに行く感じに近いのかなと思う様になりました
神社は神聖な場所…という事で、空気が澄んでいるという印象でしょうか
過度な装飾はせず、スッキリした造りの社
ご神体も日本の神様以外にも木、石、山と、自然の物が多いです
つまり、言うなれば「パワースポット」効果でリラックスするという事なんでしょうね
一方、寺院は修行の場
心を無にして仏様に祈り、読経するという行為そのものに集中するので、雑念が飛ぶ
ずっと同じ作業をしていたり、私も山を歩いていて何も考えず黙々と歩く時があるのですが、そういう時って凄くスッキリするんですよね
他の事を考えずに、一度頭の隅に追いやると、気持ちがスッキリしたり、一旦距離を置く事で考え方が少し楽になったりすると思うんです
これが、「行為をする事自体にも意味がある」という事ですね
意識して行う事で、気持ちがその行動に集中される
それが「神社仏閣に参拝すると(自然や空気に感化され、また日常と切り離した行為を集中して行うという事で)スッキリする」という事なのかもしれません

罰当たりな発想化もしれませんが、神社・寺院はそれをやる為の場所であり、それを提供してくれる場所…と思う様になってきました
また、遥か昔から続いていて、そこに所縁の有る人々や文化、そういった物や、時々の建築様式
私は写真を撮るのが好きで、神社仏閣も美しさから入ったのですが、自分にとって「神社仏閣とは…」と考えてみるのも楽しいと思います
一度考えて参拝すると、同じ神社でも今度はその考え方にそった視点で探ったり…というのも出来て楽しいと思います
神社仏閣だけでなく、仕事・人・趣味・物…に対して思考を追究するというのは、とても楽しく贅沢で、まるで自分の宝物の様に尊い事の様に感じます
しんどくなったら考えませんがね!w