宿8:50
石部12:05
草津16:20
草津南17:10
東海道の旅も、いよいよあと3日になりました
昨日の問屋場跡で東海道に合流して進みます
水口宿内には、からくり時計が2か所設置されていました
こちらは近江鉄道の水口石橋駅前のものです
水口祭の曳山を模した仕掛けらしいです
写真からも分かる様に、この日は晴天!
時期も時期で暑いです…(2017/5/18です)
からくり時計ももう少し待てば見れる様でしたが、ちょっと我慢出来ずに進む事にします(´・ω・)
毎日毎日日焼け止めも塗っています
歩きたい、でも焼きたくない。
昔は日焼け対策とかしていなかったので、今からでもシミを作らない努力をしないとね…
顔に出来たら目立ちますし…
身体のメンテも大事ですが、歳を重ねると、色々意識しないといけない事が増えますね…
スキンケアが面倒なのは若い証拠
スキンケアを頑張るのは自分を大切にしたい証拠
スキンケアを不要だと感じた時こそ、身も心も年老いた証拠…
さてさて、念入りにハットも被り直し、東海道を進みます
こちらの水口石は力石とも呼ばれています
日本橋より百十三里目の水口一里塚跡です
案内本的には五十鈴神社と同じ場所にある感じに描かれていますが、神社内ではなく、通りの角にありました
ここからしばらく長閑な田園風景が続きます
舞込橋を渡ったお墓の前に、泉一里塚跡があります
こちらは復元されたものです
横田渡跡です
この辺りでは、野洲川を横田川と呼んでいたそうですね
昔は横田渡で野洲川を渡っていましたが、現在は国道1号線沿いに進むルートになっています
国道1号の泉西交差点から湖南市になります
歩道を歩き、朝国歩道橋で北側に渡ります
横田橋を渡ると階段があるので下りて、高架下をくぐると三雲駅です
詳しく書いていますが、迷わない道です
Googleマップで下見した時に、「あれ、国道1号分かれるんだ」と印象深かったんですw
荒川橋が工事中でしたが迂回路も設けてあり、無事に通れました
三雲踏切辺りから、暇だった姉が電話をかけてきたので、話しながら歩いていましたw
短いトンネルの様なものを通ったのですが、後から本を見返すと大沙川という天井川だったそうです
ちょっと惜しい気もしましたが、一人で暑い中無心に歩くという行為はなかなかしんどいので、良い気分転換をさせて貰えました
夏見一里塚跡です
看板の一里塚の写真が見えますか?
これは、昔ここに生えていた榎のー…
ではなく、笠寺の一里塚の写真です
今はここには跡を示す物しか無いけれど、一里塚はこういうものだよという説明で用いられています
旅を始めた頃の私の様に、一里塚とは碑や看板が立っているスポットだと思ってしまう人も居そうですしね(友を増やすな)
20日位延々旅をすると、少し位は知識がついてきてくれて、旅に出た甲斐があるものだなと思いました(^^;)
そこからもひたすら歩き続けます
平松で高木陣屋跡の看板がありました
浄休寺から少し歩いた辺りです
陣屋の門は、現在は三雲の郷内にあるレストラン入口門として再移築されているとありました
石部東口交差点辺りから宿に入ります
石部中央交差点の所には、小さな広場があり、高札場跡・石部城跡看板、歌川広重の東海道五十三次「石部」の田楽茶屋の絵もあります
こちらは小島本陣跡です
最初お婆さんが通りかかったので写真をお願いしましたが断られました
何故か数分立ち話をする事になったのですが、暑かったので誰か早く通りかかってくれと心の底から願っていました…
幸い別のおば様が現れ、写真を撮って頂けました
5分程で、2人通る感じの交通量でした
良い時間になっていたので、田楽茶屋でお昼を頂く事にします
田楽茶屋は立場茶屋を模して建てられていて、休憩や軽食をとる事ができます
案内本に「菜飯と田楽が味わえる」とありましたが、メニューはお蕎麦やおうどん、カレー、おにぎり、コーヒー等でした
茶店うどんを頂きます
きっと「ちゃみせ」と読むのでしょうが、「さてん」と読んでしまって、気付いてから一人恥ずかしがっていましたw
きつねうどんです
お出汁は少し濃い目でしたが、食べやすいうどんでした
この付近は休憩所や食事処を見かけなかったので、ここは東海道を旅する方の有難いスポットですね
お店に入った時に、私の他に年配のご夫婦がいらっしゃいました
私の荷物を見て、「東海道歩いてきたんか」と見破られますw
気持ちの良いご夫婦で、そのまま旅の話や登山もされるというので山の話もしました
69歳で、今も走ったりしているとの事…
凄い!!
今年は14歳のお孫さんと槍に行くと言っていました
楽しい思い出を作られたと思います
ご夫婦は水口の方に住んで居るらしく、よく石部駅前のこちらの最中を買いに来るそうです
ご厚意で1つ頂きました(^^)
甘くはないのですが、上品な感じでした