日光街道・2日目~草加・越ヶ谷・粕壁・杉戸・幸手~②

日光街道シリーズです
2019/4/30、2日目の続きです

と、皆様、大変お久しぶりでございます…
前回の投稿から、実に2か月半…
何とも長い夏休みかと思われたかもしれませんが、
妊娠後、実に長い悪阻に苦しんでおりました…(^^;
仕事もまともに出来ず、いや、立つ事も大変で点滴に通っていたのも2週間で限界…
入院もしていて、退院後に入籍もしましてと、
実に寝っぱなしながら怒涛の期間でございました
はい、そこは山ガール
登れずとも、山の日に無事に入籍しましたよ
(その後もぶり返し、お盆明けも仕事行くので精一杯でと、
ようやく復活致しました)
暑かったし、日光街道を歩く方も、居なかった…ですよね。。

前回は埼玉県・越ヶ谷宿の香取神社を出た所でした
それから35分程街道を歩くと、下間久里という所に着きます
こちらには日本橋より7里目の下間久里の一里塚がありますが、
現在地不明です…
なので、地名が書かれた自治会館の写真を撮っています

そこから20分程歩いた、12:18、いよいよ春日部市にお邪魔します

12:29、31kmのキロポスト標があります

丁度、大枝香取神社があります

下野國一宮の香取神宮の末社で、祭神は経津主神(ふつぬしのみこと)です
古くから五穀豊穣の神として崇められています

この時間はそろそろおなかが空いてきますね
お昼のお店を探しながら歩きます
30分程歩くと、備後(南)交差点があります
その角の、辻九さんで一服させて頂きます

おなかがしんどいのか、麺類ばかり選択する旅です…w
頼んだのはとろろそば(900円)です

あっさり美味しかったです
とろろにうずら卵が入っているのも、嬉しいですね

20分余り歩くと、日本橋より8里目の、備後の一里塚跡があります

見つけやすい碑というものは、見落としがちな人にとっては有難いです…(^^;

14:00、一宮交差点にある八坂神社です

市名は春日部ですが、宿名は粕壁
こちらの神社は粕壁宿の市神として信仰されました
日光街道はここを左に曲がるのですが、
私は少し道を進んだ東八幡神社で御朱印を頂けるという事を下調べしていたので、
そちらに進みます

と、大変立派な御神木!
樹齢約600年の大ケヤキです
社務所は残念ながら閉まっていましたが、この大ケヤキに元気を頂けました(^^)
寄り道としては、関根本陣跡の道を入った所にある碇神社のイヌグスも樹齢約600年です
私は足が限界で寄れませんでしたが、余力のある方は同じ位の感動を味わえるのではー…と思います
こちらは定番、力石です

この石は、三之宮卯之助という、江戸時代の見世物興業の力持ちとして日本一になった事もある方が奉納した力石です
この方の十八番は、牛一頭を乗せた小舟を持ち上げる事だったとかー…
昔の人って、凄いー…

神社を出て、日光街道に戻ります
こちらは東陽寺

伝芭蕉宿泊の碑「廿七日夜カスカベニ泊ル江戸ヨリ九里余」があります

脇本陣跡碑です

ここが③になっていますが、先程の八坂神社は①の看板、東陽寺は②の碑がありました
⑧まであり、街はしっかり新しくなっていますが、
昔の事もきちんと伝えている、良い街だなと思います
東海道は基本碑や看板跡は当り前ですが、日光街道は、特にこの違いが顕著ですね…
本陣は、群馬銀行の辺りにあったといいます

小沢本陣跡の碑は、薬局前にありました

丁度店から出て来たお姉さんに記念写真をお願いしました
人通りは道幅の割には多くはありませんが、少なくもありませんでした
でも、前回の越ヶ谷の様に危ない道ではなく、歩く人間にとってこの歩道幅は本当に嬉しいです
碑や看板がある事も、「歩いていて楽しい♪」となるので、良い街だなぁと今も思います



問屋場跡の看板です

個人的に、宿の中心は本陣というイメージなのですが、
問屋場跡の方がしっかり説明されている辺り、
単に情報が多く残っていたのか、
実は問屋場こそ中心だったのかー…と考えると、面白いですね

雨上がりなのがバレバレなマンホール写真です

市の花・藤がデザインされています

14:51、日本橋より9里目の小渕の一里塚です

次回は杉戸宿、そして宿泊地の幸手に向かいます

今回は病み上がり的に、少し容量少なくしてみました
お仕事は8月末で退職させて貰ったので、これから専業主婦です
体調もだいぶマシにはなりましたが、引っ越し作業等、まだやる事も残っています
(ここ数年家事をサボっているので、同居後きちんと出来るかな…)
時間をみて、10月中旬までには、無事に全行程をブログに出来ればと思います
これからもお付き合い頂ければ嬉しいです!

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