御朱印・西国三十三所と都七福神の行願寺(革堂)

このシリーズは、2017/12/30、京都の西国三十三所と都七福神の御朱印を頂きに行った分の6回目です
私はレンタルサイクルを利用して回りました
この日に行った神社仏閣は7か所です
今回は6か所目、行願寺(革堂)です

御所の南(南東?)側にあります
前回の六角堂からは自転車では10~15分程で到着しました
行願寺アクセス
生憎自転車置き場がありません…
前の道に数台自転車が置いてあったので、そちらにご一緒させて頂きました(><)
気になって何回かチラチラ外に見に行きました…

お邪魔します

革堂(こうどう)、または行願寺と呼ばれています
こちらも拝観料はいりません
天台宗のお寺です
寛弘元(1004)年に行円(ぎょうえん)上人によって建てられました
子を孕んだ鹿を射止めてしまった事を悔いた上人が、常にその革を纏って鹿を憐れんでいた事から「皮聖(かわのひじり)」と呼ばれていました
こちらが革堂と呼ばれる様になったのも、それが所以です
元々は上京区に創建されましたが、度々の災火によりお寺の場所も転々としてきましたが、宝永5(1708)年、現在の中京区行願寺門前町に移されました
ご本尊は行円上人の作と言われる千手観世音菩薩です

入った真正面に本堂があります
左手に曲がると都七福神の寿老人神堂、愛染堂等があります
本堂で御朱印が頂ける様だったので、先に寿老人の方にお参りに行きました
横には七福神の像が並んでいます

我が家の床の間には、毎年お正月には七福神の掛け軸がかけられていました
祖母がよく「鯛を持っているのがえべっさん、女の人が弁天さん、鎧を着ているのが毘沙門天、小槌を持っているのが大黒さん、大きいおなかが布袋さん」と教えてくれていました
この5人はすぐ覚えられましたが、
寿老人と福禄寿は消去法です(^^;)
確か、横に鹿が描かれているのが寿老人…だったかな……
ん?
鹿?
さっき案内板でも鹿が何とか…と書いてあった様な
革堂(行円上人の皮聖)=寿老人(鹿を連れている姿で描かれている)
あぁ、こんな所で繋がった!
因みに寿老人の連れている鹿は玄鹿(げんろく)と呼ばれています

もう少し七福神の話をすると、寿老人は福禄寿と同体異名…つまり呼ばれ方は違うけれど同じ神様だという説があります
これまでも、七福神にはどちらか一方の名前をいれ、吉祥天や猩々等、もう一人神様を加える事があったと言われています
七は昔から縁起が良い数字だったんですね
大学時代、高田崇史のQEDシリーズで紹介されていて初めて知った知識です
六歌仙の暗号に載っていたと思います
歴史関係以外にも恐ろしい程の知識量と独自の価値観とミステリ要素…
一冊一冊が濃密で読むのに時間がかかりますが、とても楽しいシリーズです

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納経所では女性の方が一人いらっしゃり、参拝客の御朱印を書いていました
私は今回も西国三十三所、ご詠歌、七福神と3冊にそれぞれ書いて頂きました
こちらが都七福神の寿老人

西国三十三所のご詠歌です

「はなをみて いまはのぞみも こうどうの にわのちぐさも さかりなるらん」
寿老人は樹老人とも書かれることもあり、樹木の生命力から長寿を象徴しているとも言われています
ここで花や千草が詠まれているのも偶然では無さそうな気がしてきます
奥が深い!
西国三十三所の御朱印です

時刻は15時になりました
元々こちらで終える予定でしたが、もう少し行動できます
「この後どうしよう…」という事と、「西国三十三所の回り終わった後」をふと重ねて考えました
そういえば、しっかり見て無かったけれど、御朱印帳の最後に三十三所以外のお寺も無かったっけ…
そう、番外です
三十三所に併せ、番外三寺、そして次の内から一寺(高野山、金剛峰寺、奥の院、比叡山、延暦寺、根本中堂、四天王寺、善光寺)を詣でるという、計三十七所が霊場巡りになると言われています
(外出時点では「うわ、番外ある!」というだけで、帰ってから計三十七所の話を調べて知りました
計6ページ白紙ページがあるのですが、
内、途中1枚施福寺のご詠歌を書いて頂いていたので、残りの白紙ページの配分に悩んでいますw)
という事で、今から行ける番外はあるかなぁと調べてみると、ありました!
次回は元慶寺に向かいます

今回でブログが100話目となります
ご愛読頂いている皆様、ありがとうございます
好き勝手書いていますが、やはりブログです
何かしら参考になったり、気になった情報を発信出来ていれば幸いです
今後とも、お時間許します限りよろしくお願い致します
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