富松城と御朱印・富松神社

JR立花駅シリーズも今回で最終回です
前回の七松八幡神社で富松神社もお勧めして貰ったので、尋ねてみる事にしました
七松八幡神社から歩くと30分以上かかりました
城址は、こんな感じです

鬱蒼としていて、「城!」と楽しみにしていくとがっかりするかもしれません…

伊丹城、大物城、越水城の中間地点にあります
境界防衛や連絡の城として攻防の要となり、度々戦火に見舞われています
周囲に土塁、二重の水堀がめぐらされていたそうです

そこから富松城は歩いて5分程です

16時過ぎという時間なのか、境内には散歩のおじさま1人しかいらっしゃいませんでした

静かですし、それなりに広いです
こちらは「舞殿(まいどの)」です

7月26日の富松薪能、2月3日の節分祭などの行事が行われます

一通り見終わって、本殿にお参りです

6月ですが、絵馬が飾っていました

…ん?これ、茨木童子?

北摂・茨木に縁がある方だと一度は見た事があるであろう、茨木童子です
位置関係で言うと、茨木と立花駅は大阪駅を挟んで東と西の関係です
言う程近くも無いのに、何故ここに茨木童子が…?
という、地元だから分かる地元アンテナが張ると、何だか嬉しくなってきます
読んでる方はチンプンカンプンかもしれませんが…スミマセン

社務所は誰もおらず、こちらもインターホンを押します
小道を挟んだ建物から宮司さんが現れ、御朱印を書いて下さいました
「私、茨木の方から来たんですけど、茨木童子って、この辺りと関係あったんですか?」
「そうそう、ここに書いてあるよ~」
と、富松神社の案内を頂きました

茨木童子ですが、生まれはここ富松の里
富松の村人夫婦の間に生まれた赤ん坊が、産まれたばかりなのに毛は生え揃い、目は鋭く光り、口には牙までありました
両親はこの異様な姿を恐れ、考え悩んだ末、大阪の茨木で子供を育てる事にします
この子を拾い、育てたのが、かの有名な京都で大暴れしていた酒吞童子です
酒吞童子は茨木童子を我が子の様に育て、一番の子分にしました
ある時、茨木童子は故郷の両親が病気に臥せっている事を知ります
お見舞いにと故郷の富松の里に戻ると、両親は
「よく帰ってきてくれた」と団子を食べさせてもてなしたといいます
両親も、我が子を恐れ、捨ててしまった事に心を悩ませていたんですね
茨木童子も、自分を捨てた親が病気だと知るとお見舞いに行く、心優しい鬼です
富松では、茨木童子が、親子の絆や子・親の有難さを現代にも伝えてくれています
あぁ、
私なら、そんな親の所には行かないな←
寧ろ、捨てる位嫌だったんだと避けまくるので、生涯溝が埋まる事はありませんね
昔話は、そうしてみると、心の温まる良いお話ですね(自称昔話マニア)

頂いた御朱印です

御祭神はこちらも素戔嗚尊
富松神社は約1250年前に、行基が人々を指導して猪名野笹原を開拓し、稲作を広めると共に、
富松の里の守り神として神様と仏様を祀ったのが始まりとされています
戦国時代には戦火で社殿や堂塔は焼失しましたが、江戸時代には尼崎藩主より厄災除祈願所として特別の庇護を受け、盛況を誇ったそうです
また、この楠は樹齢500年と言われていて、本当に立派です

帰りは宮司さんからバス停の場所を聞いておいたので、無事にバスで尼崎駅に向かいました
私も時間が遅かったり疲れていればバス位乗りますよw

さて、水堂須佐男神社、七松八幡神社、そして富松神社
これまで縁の無かった立花駅周辺の神社を廻ってきましたが、
どちらの宮司さんも人当たり良く、
また「小さい神社かな」と思っていたものの実際に行ってみると、楽しいポイントや、その神社・土地ならではの個性もあって、
楽しい神社巡りになりました
特に遠方からですと、私の地元も梅田の影に隠れていやもうお勧めスポットとか特に無いんですけどねw
けれども、是非、足を運んで頂ければと思う神社ばかりでした